

「整備士の仕事は、お客さまに安心して乗っていただくための答えを出すことだと思っています。 お預かりしたクルマをお客さまのもとへお返しするときが大切。修理した内容をしっかりと伝えて、安心して乗っていただけることを説明する。そして、クルマの使い方や点検時期のアドバイスもします。クルマの扱いが少し変わると、クルマの調子も変わりますから。いい提案をしてくれたと受け取っていただけるとうれしいですね」
そう話す安達さんは、宮城県一番乗りでマスターテクニシャンの称号を獲得した整備士。国家一級整備士試験は、家族で乗り越えたと、当時のことを振り返る。
「国家1級整備士の資格には、思い入れがありますね。試験が始まったのが平成14年。その第1回に受験しました。前例がない試験はものすごく難しくて、あえなく不合格。まったく歯が立ちませんでした。もっと多くを学ばなくては、とすぐに2回目の試験に向けて勉強しました。一年間、朝と夜、そして昼休みの少しの時間も惜しんで。 ちょうどその頃、娘は2歳になったばかり。自我が芽生え始めた娘の育児は大変で、そんなときでも、妻は私の資格取得を全面的にサポートしてくれました。そうして作ってもらった勉強する時間を精一杯使って、2回目には合格しました。家族の応援とともに進んだこの1年は、大きな達成感を得て自信になり、ずっと忘れられません」
そもそも安達さんが整備士になったきっかけとは? そこにも家族の姿が登場する。それは幼少期――安達少年が小学校に入った頃、安達家にラジコンブームが到来。そこに安達さんを機械とクルマの世界へ導く扉があった。
「クルマやバイクをいじるのが好きだった父が持ち込んだのは、一から組み立てるタイプのラジコンでした。兄と私がそれぞれ時間をかけて作り上げていくんです。ホイールにタイヤを付け、サスペンションはバネから組み立て、モーターをつなぎます。仕上がりを確認しながら、ハンドルの角度でさえも少しずつ調整するほどの熱の入れようでした。子どもの私にとって、作り上げて運転できるのは、本物のクルマのようでした。あの感激といったらありません。あれから30年経ちますが、まだ動くんですよ」
時間の重みを感じさせるラジコンとともに、バイクの部品を見せてくださった。そのキャブレターと呼ばれる部品が安達さんに整備士の道を決めさせた。
「燃料をエンジンに送りこむ部品です。父が乗っていたバイクの調子が悪くなり、この部品を分解してみようということになりました。掃除して、調整して、組みつけたら、驚くほど調子がよくなったんです。分解しながら、ガソリンがどうやってエンジンに入り、どのようにエンジンが動くのかを知りました。好奇心が止まらず、原動機のしくみを探索することにのめり込みました。


同じ時期、兄が日産フェアレディZに乗り始め、いろんなところへドライブに連れて行ってくれていました。エンジンルームや内装の細かいところまで見せてもらい、衝撃を受けました。そのときに『このスーパーカーを整備できるようになりたい!』と強く思ったんです。そして、高校二年生になる頃には、日産の整備士になろうと決めていました。あの頃のワクワクする気持ちは、今もどこかで続いているのを感じています」


日産の整備士は第一線でお客さまのクルマを預かる立場から、クルマづくりに深く関わっている。それは「品質報告書」という形にも表れている。
「現場で修理をしていると、こうした方がよくなる、という発見やアイデアが出てきます。突き詰めていくうちに、それはクルマの構造や製造ライン、組み付け方までに考えがおよび、改善点を見つけることがあるのです。
その内容を開発部に送るのが品質報告書。考えた案が採用されると感謝状が送られてきます。
さらに品質を上げたい、技術の日産の一員になれたら、という思いで力を入れてやっています。マイナーチェンジ後に改善されているのを見ると本当にうれしくなります。子どもの頃に自分仕様のラジコンが完成したときの喜びと感動に近いものがあります」
自宅では動かなくなった初代フェアレディZを手に入れ、幼い頃のように兄弟で手をかけているそう。「新型車を知るのは当たり前、過去の日産の技術に触れることもとても大事だと思う」と話す。深く突き進む安達さんへ、「もう十分に極められたのでは?」と意地悪な質問を投げかけると、「もっと知りたい」と直球で回答が返ってきた。クルマに、お客さまに、日産に、まっすぐ向き合う姿は、ラジコンに目を輝かせていた少年が夢をかなえた姿――。

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