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1st ALSI
2nd S50
3rd C10
4th C110
5th C210
6th R30
7th R31
8th R32
9th R33
10th R34
11th V35
12th V36
3丁目の先達
3丁目の夕日の時代(1958年~頃)は、ぼくの小学校から中学への背景になっている。1964年の東京オリンピックに向って東京タワーも建造され、高度成長への幕開けのような時代だったように思う。あの頃、クルマはお弁当箱のような観音開きのクルマが多かったので、スカイラインのようなデザインはカッコイイーッと思った。これも今思い起こせば時代の先駆者だったなと思う。
銀座の韋駄天物語
45年程前の銀座4丁目あたりの賑わいが、懐かしく思い出される光景だ。この頃は現代美術(ポップアート)の先達の展覧会を見るために、学校をサボってまでもこの界隈に通っていた頃だ。まだ日産ギャラリーもない時代だ。プリンス・スカイラインなんて、まだ夢のまた夢だった。唯ひたすらにポップ・アートを追い求めた我が身を想い出している。銀座を風を切って走るプリンス・スカイラインは超カッコイイ!と思ったけれど、ぼくはお金がなかったので、みゆき族のように両肩をイカらせて、早足で風を切って歩くしかなかったのでした。
箱スカGT
しっかりと足回りを大きく安定させて、車高も低目で、3代目の登場はスカイラインのイメージをスタイリッシュな次世代と、世界に定着させるに充分な出来映えのグラン・ツーリズモだったと想い返している。ぼくは、運転免許を取ってすぐに友人の箱スカに乗って感激したのを覚えている。丸四つのテールランプは、この時代からスカイラインに定着していくような予感もあったが、その通りで今にも受け継いでいるようだ。“スカジー”と略して呼ぶようになったのも、この3代目からではなかろうか。
スカジー・ハコスカ 懐かしいなあ。
愛のスカイライン
先代のスカイラインで気分を良くしたぼくは、4代目のケンメリに興味を持ったのも至極当然のことのように思えた。3代目にもあったGT-Rがケンメリにもそのパワーを引き継いで再度登場。とうの昔に返還されていたと思い込んでいた沖縄が返還されたと知って、何やらぼくには、ケンメリがアメリカン・スポーツ・カーに見えて仕方なかった。コマーシャルも若いケンとメリーが、ジルバを踊るようなシーンもあって、アメリカン・グラフィティなパッと明るい愛のスカイラインだったと覚えている。
アメリカへの搭乗口
この時代、ぼくは頻繁にアメリカ通いをしていた。年間で3~4回取材旅行でアメリカを廻っていた。米国日産自動車に親しい役員の人がいて、取材に車を提供してもらったりしていた。お世話になりっぱなしのまだ若き未熟なぼくは、仕事に燃えていたのだ。ひっきりなしにアメリカを走り廻ったので、今回描いたようなスポーツ・セダンがアメリカにもあったら幸運だったのにと、当時を思い出す。成田のアメリカン・ゲートをくぐるたびに、あのドライな南カリフォルニアの香りを訪ねることの喜びを感じていたあの頃だ。
並走のランデブー
何よりも車が大好きなぼくは、免許を取得してからというもの、時間さえあればいつでも車をころがしていた。どこにでも車で行く。用事をつくってでも、出掛けるチャンスを狙っていた。そうでなければ、イヨイヨ近所巡りのパトロールと称して134号線を江ノ島までひと走りして、島の魚屋で昼メシにありついていたりした。この絵に見えるように、なにしろ気持ちがいいのだ。チャーミングな江ノ電の走りと並行してゆっくり走ると何とも気持ちが良くなる。だから今でも続けているわけで、変わらないことはイイな。
ネオン焼けの夜
バブル時代によく六本木に誘われた。出版社や広告代理店の人々と遊びに銀座と六本木を何度も往復する大バカ者をやってしまった。2~3年も続けると疲れ果てて、体がガタガタになってしまった。交差点を中心にして四方に行きつけの店があった。なんとも懐かしい。キラキラとバブルの光のハジけるその光を浴びて右往左往していた目眩く毎夜、六本木。今を遡る25年程前の夢の街だった。
絵になる吊り橋
横羽線で、いつも大渋滞を恨みながらも諦めて、横浜から下に降りて産業道路で羽田に向ったことが何度もあった。その毎日が2年程続いたある日、突然の朗報により目の前が明るくなった。なんと東京湾岸線が出来ると言うのだ。10数年の悩ましい大渋滞もこれで終わると思えた。それにも増して大きなベイブリッジが出来ると言うのだ。走ってみたいと思った。吊り橋のように大きく太いロープが橋の骨組を吊り上げていることが目新しく、誇らしく思えたのだ…。今でもこの橋を渡る度に思いだしてしまうのだ…希望のない渋滞を。
銀河への架け橋
東京湾岸道路に銀座から繋がったバイパス道にレインボーブリッジが建設された。またしても夢の橋がかけられた。お台場が整備されて、大きな街となり、某テレビ局がこの街の大きなイベントスペースへと移行して、多くの話題を提供してくれた。その虹の橋はレインボーカラーとなってライトアップされ、まるで宇宙空間への夢の架け橋のようだった。ロマンチックな夜にこんな長い橋を渡ってみてください。そしたらこんな星のまたたく銀河の海へ旅立っていることになるのだ。
眺めるチャンピオン
10月のスポーツイベントはおまかせくださいと言わんばかりのスタジアムが建設された。新横浜が大きく変貌した。新横浜公園に日産スタジアムが日本一の規模であらゆるスポーツイベントをフォローしてしまうのだ。ぼくは持病があるのでスポーツが苦手で見物組になってしまう。近くにあるラーメン博物館では度々食べるイベントに参加するが、その帰路に寄り道がてらスタジアムの横を車でやり過ごす。ぼくの頭の中の持病のないぼくが意気軒昂になるほど、スタジアムの壮大な眺めは素晴らしいのひと言だ。
豊かなる銀杏並木
東京の青山通りから入ると、そこは大イチョウ大通りだ。昔から有名な銀杏通りでそのイベント色ゴールドはシンボルになっている。ぼくもよく行った。クラシックカーパレードに参加したこともある。またデザイナーの頃モデルを使って雑誌のために撮影したこともある。いろんな事を皆している。楽しいウイークエンドだ。みんな18金の並木通りに集うのだ。豊かなる銀杏並木に降りそそぐ金箔の 嵐に酔いしれて、この美しい通りを満喫させていただきました。
洒脱なラグジュアリーGTなのだ。
スカイラインが晴々として走行している。キレイな車だ。高級なラグジュアリースポーツのGT(グランツーリスモ)だ。美しいストリームラインの4ドアセダンが走行している。ここまでデザインを追求したボディ・ラインはイタリアン・ラグジュアリーGTカーをすでに越えているのではないか!このメーカーの本社ビルの前の目抜き通りを悠々とクルージング・タイムだ。こんなにまで進化してくれなくても、充分にスカイラインのクオリティーは保持されているように思うが、日本の環境に大きく貢献している点でも、このラグジュアリー・グラン・ツーリスモは素敵にチャーミングなのだ。